ランタン界のいにしえの巨人
Dietz(デイツ)というアメリカのオイルランタンのメーカーを知っているでしょうか。
オイルランタン自体は、少し前のソロキャンブームの際に一緒にブームとなっていました。
このときに始めたキャンパーは、ドイツのFeuerhand(フュアハンド)のランタンを思い浮かべることでしょう。
ブームのときは、Feuerhandのランタンは非常に手に入りにくく、
もともと数千円のものであるのに、1万円を超えるような価格でフリマサイトに出ていたり、
時にはコピー品まで出回る始末でした。
Dietz社の、その歴史は、実はFeuerhand社よりも遥かに長いのです。
そして、Feuerhand社に代表されるようないわゆるあのオイルランタンの原型は、
アメリカで生まれ、アメリカで育てられてきたものなのです。
オイルランタンの歴史
オイルランタンと一言で言っても色々なタイプがあるのですが、
多くのオイルランタンは芯をオイルに浸して、気化したオイルを燃やしているだけのもの(デッドフレイム式)ですが、
フュアハンド社に代表されるようなあのオイルランタン(チューブラーランタンという)は、ただオイルを燃やしているだけではありません。
オイルを燃やすことで発生した上昇気流を利用し、本体のチューブを通して空気を燃焼部に還流させることで、普通に燃やすよりも明るいランプとなっています。
この原型ができたのは、1868年(実際には5年前には出来ていたと言われる)のアメリカです。
ジョン・アーウィンという人が、温められた空気を燃焼口に戻す方法でより明るいオイルランタンを開発しました。
これはホットブラストランタンと呼ばれるランタンで当時としてはとても画期的なものでした。
1874年には、ジョンアーウィンが、自ら開発したホットブラストランタンを改良した明るく画期的なランタンを開発しました。
それは上昇気流で空気の流れをつくると、その途中で新鮮な空気を取り込んで、酸素が多く含まれた気流を燃焼部に戻す方法で、コールドブラストランタンと呼ばれています。
今日のチューブラーランタンのほとんどは、コールドブラスト方式を採用しています。
このころのランタンの特徴は、部屋に設置することを前提としているためか、現在のランタンと比べると非常に大きいことです。
グローブも長細く、ナスビのような形状でした。
20世紀に入り、世の中に電気が普及し始めると、部屋に据え置くような大きなタイプのランタンよりも、屋外や納屋など電気の通らない場所で利用できるコンパクトなタイプのものが好まれるようになりました。
このときに発売されたのが、C.T.Ham社がデザイン、開発したNu-Style Lanternと呼ばれるモデルで、このランタンが現在のオイルランタンの源流となっていると表現しても問題ないかと思います。
1910年頃の話です。
デイツ社の存在と役割
ここまで説明したオイルランタンの歴史には、デイツ社が深く関わっています。
アーウィンが開発したホットブラストランタンは、デイツ社が製造する権利とアメリカの一部のエリアでの販売権利を獲得し、これによってデイツ社は、会社の基盤を固めることが出来ました。
また1902年に発売されたコールドブラスト式の小型ランタン、Juniorは、1903年より建設が始まった、あのパナマ運河の建設工事でも使用されるなど、社会的にも非常に大きな存在感と多くの富をデイツ社もたらしました。
C.T.Ham社が開発したコンパクトなコールドブラストランタン、Nu-Style Lanternは、Dietz社がC.T.Ham社ごと買取り、自社のラインナップに加え、D-Liteと改名されて販売されたそれは世界的大ヒット商品となりました。
Feuerhand社との関係
文献が少なく、想像も含めて記載します。
歴史を見る限り、チューブラーランタンがアメリカで技術先行していたことは確かなようです。
Feuerhand社のほうが後発なのですが、勢いは明らかにFeuerhand社側にありました。
これは推測ですが、電気が普及していない時代から事業展開して、企業規模が大きくなったDietz社と、後発で、最初から屋外で使用するランタンをつくることを前提としていたFeuerhand社の違いがこの結果を産んだのだと思います。
すでにアメリカ国内においてランタンの先駆的企業として、多くの大型ランタンを含めたラインナップを抱えていたDietz社は、急速な電気の普及による時代の変化に対して、Feuerhand社ほどには対応できなかったのではないかと思います。
係争の火種となったDietz JuniorとFeuerhand 252
1921年Feuerhand社は、すでにアメリカで発売されていたJuniorというモデルを模倣した252というモデルを発売しました。ただ、特許は有効ではありませんでした。
このことは当然遺恨として残り、デイツ社とFeuerhand社は、特許紛争を繰り返すことになっていきます。
Dietz社がアウトドア向け商品としてヒットさせたComet
後に全米ボーイスカウト連盟のオフィシャルランタンとなったCometというモデルは、FeuerhandのBabyシリーズ 175というモデルをコピーしたものとされています。
1934年にデイツ社はこのモデルの販売を開始しましたが、すでにアメリカでもBabyシリーズの特許を取得していたFeuerhand社側がDietz社を訴えることになります。
その法廷闘争は4年ほど続きましたが、その後の世界大戦を経て、敗戦国であるドイツの法的請求権は失われることとなり、Feuerhand社の勝利とはなりませんでした。
このCometは、なぜか1950年にDietz社のカタログに載り、カタログ掲載年から#50となっています。
数十年に渡る遺恨を感じさせるネーミングDietz #76 THE ORIGINAL
1976年にDietz社が発売した#76 THE ORIGINAL はFeuerhandの代表作であるランタン276 Baby Special または、275 Babyのコピーとされています。
なぜこのタイミングで、デイツ社がわざわざばBabyシリーズの模倣とされるものをTHE ORIGINALという名で、これこそが「起源」であるというような名前のものを世に出したのか。
ここからは完全な推測ですが、
市場の変化により出さざるを得ないほど追い込まれていた状況だったのだろうと思います。
そして自らの伝統を軽々しく曲げることもまた出来なかった。結果として、
自分たちこそが正統である、と、主張する他なかったのではないかと想像します。
というか276だから76年に出した!というのはひねくれた考えなんでしょうか。。。
■なぜ現在の日本ではフュアハンド社のほうが人気なのか
日本では、オイルランタンと言えばフュアハンド社のほうが人気というかメジャーです。
オイルランタンから人気が派生したレイルロードランタンなどは、VestaやWATCHMANなど、アメリカのデイツ社やカークマン社のものが人気だったりしますが、こと、チューブラーランタンについては圧倒的にフュアハンド社が人気です。
ここからは推測を交えた考察ですが、以下3点が大きな理由であると考えます。
・そもそもオイルランタンの流行に火をつけたYOUTUBEコンテンツで使われていたオイルランタンはフュアハンド社のものだった。
・比較的に手に入りやすい戦後のヴィンテージ製品は、フュアハンド社がずっとドイツ製(西ドイツ製)であったのに対し、デイツ社は57年以降から香港製になり、82年以降からは中国製となった。
・フュアハンド社のほうが、現在のアウトドアにマッチしやすいサイズ感のものが中心。デイツの#76、#78はコンパクトなタイプであるが、香港製もしくは中国製である。
最後に個人的な主観にはなりますが、製造拠点の変更の影響などもあるものの、全体的にはフュアハンド社のほうが作りが良いと感じています。
ビンテージデイツの愛好家からの意見としても、香港製または中国製の製品は、アメリカ製デイツのクオリティに遠く及ばない、とする向きが多いようです。
また、フュアハンド社は、実際に世界大戦中にドイツ軍にランタンを供与していました。シュトルムカッペ(STURM KAPPE)のような、ミリタリーライクなバージョンがあることも、現在のアウトドアの潮流ともマッチしやすかったのだと思います。
今回はここまでアメリカのデイツ社の歴史とフュアハンド社との関わりを振り返ってみました
今度は、原文がドイツ語となる資料から、フュアハンド社の歴史にも触れてみたいと思います。
戦後東西ドイツに分かれるなど、いろいろな紆余曲折がある、とても興味深い歴史となっています。
お楽しみに。
※画像は、すべてグループ会社のトレファクスポーツアウトドアのブログより拝借しています。(欲しい全ての画像がありました。恐るべしトレファクスポーツアウトドア…)